人も水もきれいだから 第五話

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第五話 井戸の普及

昭和十一年 井戸水の水質検査を実施

当時の中富良野町の全体戸1,537戸
井戸を有していたのは745戸
745戸のうち、飲料に適する井戸165箇所 飲料には不適な井戸580箇所

中富良野町は泥炭地のため、浅い井戸の地下水は悪臭が強く、不純物も多かった…

井戸の掘削には多くの人力とお金が必要であったため、急速な普及はみられなかった。

小作農家などは井戸を掘る余裕はなく、戦後の農地改革が完了するまでは川の水を飲んでいたとの記録がある。

また、この頃のお風呂は、川の水を利用していたようで、川から天びん棒で水桶を運ぶ労働は、学校から帰った児童の日課であった(重労働)
 
「昔は川から水を汲んで、その水を沸かして風呂に入っていたんだよ」というお話を聞いたことはありませんか。
当時は川の近くにお風呂の小屋があり、学校から帰った子どもが水を汲んで水桶を運んでいたようです。
昭和11年(1936年)は、今から85年前になりますが、場所によっては井戸を掘っても飲み水に適さない井戸もありました。
また、井戸を掘るには多くの人力とお金がかかるため、川の水を利用して生活した家もあったようです。
時代とともに「当たり前の生活」が変わっていくことを感じますね。
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中富良野町役場 企画課

情報発信係
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