花彩便りVol.15 飲んで語ろう、夢と未来~地酒「法螺吹」に歴史あり~

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 中富良野のイベントになくてはならないもの、それが地酒「法螺吹(ほらふき)」です。法螺吹は、米の消費拡大と中富良野を米の主産地にしようと、平成元年に「なかふらの産米酒造振興会」と酒造メーカーがタイアップして生産を開始。今では、クリーン米「ゆきひかり」を原料に、年間約1万3千本を販売する、隠れた人気ブランドになっています。
法螺吹

飲んで語ろう、夢と未来

 法螺吹というユニークなネーミングは発売に先がけて行われた銘柄公募で採用されたものです。命名した主婦の弁では、「おいしい地酒を飲んで、一年間を明るい気分で、大ぼらを吹いて暮らしては・・・」とのこと。その名にちなんで、毎年法螺吹まつりが開催。法螺吹を飲みながら、創作大法螺の発表、本物のホラ貝を使ったホラ貝ふきコンテスト、法螺吹音頭など盛りだくさん。平成14年(2002年)には地元ぶどうを原料にしたなかふらのワインも加わって、地酒まつりに発展し町の一大イベントとして町民に親しまれています。

地酒「法螺吹」に歴史あり

 ここに至るまでには隠れた歴史もありました。開拓まもない大正7年、小さな酒蔵が産声を上げました。西山地区の湧水と中富良野産米を原料に最盛期には1千石(18万リットル)を生産し、富良野地方だけではなく、網走や斜里まで販路を広げ、その声価を歌われた兼田丸(かねたまる)酒造です。その銘柄を十二鶴といい、中富良野出身12人が出資したところから命名されたといいます。
 ところが、昭和10年には不況や貸倒れのため廃業。富良野地方唯一の酒造会社であったため、その味わいを惜しむ人は多かったといいます。
 しかし、彼らが社名に込めた「兼田丸=金貯まる」のユーモアは後世の「法螺吹」に引き継がれたのではないでしょうか。

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