花彩便りVol.19 開拓よもやま話 火葬の炎で暖をとっていたら・・・

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 中富良野の本格的な開拓は明治30年代から。明治30年(1897年)から32年(1899年)までは、歌志内村役場時代で死亡等の場合は、戸籍上の手続きが大変困難でした。しかも、墓地も今のように火葬場もないため、当時豊富な原始林の木を使って野天で火葬していました。  これは、当時古老が語ったお話です。

火葬のあとから人の声が・・・

 あるとき、この老人が、雪の夜道を帰って来ると、大きな火が燃えている。
 行って見ると木を山のように積んだ上に、お棺をのせて、今火を着けて帰った後らしく、誰も居なかった。
 疲れていた老人は、その火のかたわらで良い気持ちになって寝ころんでいると、やがて人の声がする。
 家人が見に来たらしく、むっくりと起きあがると、おおよそ7・8人の人がびっくりして、先を争って逃げ出していった。
 この老人も、これには反対にびっくりして、起きあがり、「心配するな、俺だから安心して来い」と言ったところ、家族のものはよけいびっくりして逃げてしまったということである。
 火葬の火で暖を取った老人も豪傑とはいえ、親族のなきがらを拾いに行った家族の驚きはどれほどであったことでしょう。おおらかと言えばおおらかな時代の、ほんとうにあったお話です。

※資料提供/中富良野村史
 

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