花彩便りVol.8 峠に消えたふたり 道はよくなったけれど・・・

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よしを敷いて通った開拓道路

 富良野盆地の中央部に位置する中富良野町は、平坦な地域が泥炭地であったため、道路開発の苦労は大変なものでした。1954年(昭和29年)に刊行された中富良野村史にはその間の苦労をしのぶ物語として、次のような古老の話が語られています。
 「開拓当時の道は、今からは想像もつかないほど悪く、下手に馬など入れたものなら、4つ足すべてがぬかり込んでしまった。十四号道路も丸太を並べ、よしを敷いて通ったので、今でも掘ったら出てくると思う。夏は両側から覆い被さる草の露に濡れ、冬は吹雪で埋まったものであった。今(村史発行当時)の若い者は、タバコをくわえて、自転車で風を切りながら、アベックで映画を見に行く。何て幸福なものやら・・・」

観音坂に消えたふたり

 しかし、道路はよくなっても、若者には若者の苦労があったようです。ある老人は、その当時を次のように回想してます。それは、峠で村の娘を待ち受けたときの出来事です。
  その観音坂でさ、映画見たあと自転車押して待ってたのさ。さっちゃんって娘が、町はずれで友だちと別れて、観音坂を通ると思って。だけど、いくら待っても来ないのよ。そのうち灯りがチラチラするから、やれ来たわと思って見たら、勇作でないの。あれー、おめぇか、おめぇの先をさっちゃんが歩いてなかったか、って聞いたら、いんやおれの先歩いてたのは武市だぁ。そのうち見えんくなった・・・。ふたりで顔見合わして、あれー、ならばあのふたりはどこいったんだべぇって。」(名前は仮名)
 観音坂は今では山菜採りのほか訪れる人もありませんが、そこを交差して整備された町道では、たくましい子孫のアベックたちが、さっそうとドライブに興じていました。
 

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