花彩便りVol.9 口は災いの元「富良野川辺のある村」を駆けめぐる噂

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 これは、富良野線が開通し、明治38年に中富良野駅が開業してから間もなくの頃のお話です。
 雪の降り続いた2月のある日、工夫の佐藤青年はシグナル除雪の手を休めていると、丘の白樺の中をいつもの娘が歩いてくるのを見つけました。組頭や仲間が今日もはやし立てます。若い佐藤青年は意地になり、娘の後を追い、思い切って声をかけたのです。
 「寒いべえ。合宿(宿舎)であたたまって行けでば」と言い、娘が持っていた荷物を取り上げ、合宿所へと誘います。
 「私、寒くなんかないわ。それを持って行ってはいやだ・・・」。追いついた娘が合宿に入って訴えると、佐藤青年はビシンと戸を閉め、二人は六畳の座敷に・・・。
 座敷のまん中に据えたストーブの側に娘と並んで座っていると、佐藤青年はこの世に生をうけて19年、いまだかって経験したことのない、淡い幻想を初めて意識したのでした。
 そんな出来事があったのですが、佐藤青年の一方的な片思いで、二人の間には何もなかったのでした。しかし、村は噂で持ちきりに。ある日いつもの居酒屋で酒を飲んでいると、主人とおかみが口をそろえて、「佐藤さん、一昨日いいことがあったってねえ」と、村の噂を告げられました。それを聞いた佐藤青年、本当のことを言ってうち消すどころか、何とも言えない喜びが胸にわいてくるのを押さえることができませんでした。すっかり有頂天になり、自ら、自分と娘が恋仲であるように吹聴してまわったのです。
 まいた種は、またたくまに噂となって村中を駆けめぐりました。しかし、すぐに自ら刈り取らなければならなくなってしまうのです。
 村の巡査は、日頃、工夫の行状に恨みをもっていて、何か付け入るすきはないのものかと構えていました。その巡査や、娘の親代わりの鍛冶屋が噂を聞いて逆上し、娘の親に佐藤青年を告訴するよう勧めたのです。
 いつもの居酒屋でその話を聞かされた佐藤青年。「あの時、つまらぬところに意地を出して本当らしく吹聴しなかったら、こんな運命にならなかった。俺はなんという馬鹿だろう」と思うのですが、時すでに遅し・・・。
 幸か不幸か、小説はここで中断しています。今ではここで生きた彼らの心や行く末をたどるすべもなく、あの鉄路も「富良野川辺の村」も美しい新緑におおわれています。

※参考/加藤牧星作 短編小説 「富良野川邊の或村」(大正六年『文章世界』に掲載)
※資料提供/富良野市教育委員会 杉浦重信学芸員

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